hatagoについて
「hatago」は福岡県柳川市・柳川商店街にある朝食付き限定3組のお宿です。いわゆる「BED & BREAKFAST」です。
昭和五年に完成したこの建物は、築八十七年で新しく「hatago」として生まれ変わりました。前オーナーのお爺様が、三代先まで住めるように・・・との想いで建てられた、いわゆる百年住宅なのです。始めて拝見させていただいた際、その柱の大きさや建具など細部への心配りに、まだ見ぬ子孫への想いが垣間見える様で、心を動かされました。
現在の住宅事情では、ほぼ見る事が出来なくなった二間続きの和室、出書院と床の間、違い棚のある床脇など・・・今も綺麗な形で残っています。現在の生活様式では、暮らすには少々不便と思われる伝統的日本家屋も、日常とは異なる時間を過ごすには、素敵な空間となり得ます。
宿のコンセプトは「上質の眠りとその時間と空間(時空)そして、最高の朝」です。そのために特別に何かを準備しているわけではありません。どこか懐かしいけれど知らない空間、テレビも音楽もない静かな時間・・・。今の忙しい日常ではなかなか味わうことのできない時空が、深い眠りへといざなってくれるはずです。そして、その深い眠りの先にあるのは最高の目覚めです。
hatagoにいらしてくださった皆様に、田舎の祖父母の家に泊まりに来たようなどこか懐かしいこの空間で、そんなホッとできる時間を過ごして頂き、自分自身をリセットしエネルギーチャージして頂ければ幸いです。
柳川城の城下町、柳川商店街にある「hatago」は、「柳川」という町に相応しい風情をもって、皆さまのお越しをお待ちしております。
hatago(旧野口家)の歴史
江戸時代生まれの前オーナー曾御爺様が、大正時代に家を建て替えることを思いつかれ、その後その想いを受け継ぎ、御爺様が昭和5年に3代100年は住めるようにと作られた家がhatagoの原型である建物です。
野口家はもともと商家で、立花藩に出入りする商人でした。
江戸時代は京都から物を仕入れて立花藩に物を収めたり、明治時代には刀や甲冑(かっちゅう)などの骨董品を取り扱っていたそうです。
しかし戦時中に鉄砲の球が足りないためにほとんどの物が没収されてしまったそう。戦後、何の商売をするか考えていた曾御爺様が「今は物が不足しているので、衣食住にも困る時代。だから金物屋をしよう」と始められ、お父様の代まで50年間続きました。
その御爺様が家を建てられた直後に、曾御爺様の想いを聞いてなのか・・・歌われた詩が残っています。
部屋は広くなくともよし、雅なるがよし
花は多かざるともよし、香高きがよし
人は貧しくともよし、必ずしも富めるを求めぞ
地位低くともよし、必ずしも身分を求めぞ
正しきを正しとし、非を非とし、是を是とし、
信有ればよし
実際、御爺様は店を継がずに、朝鮮半島で教鞭をふるっていたそうですが、自分の子や孫に想いを残すために、この詩を歌ったのではないかと前オーナーは仰っていました。「孫の代まで住めるように」と建てられたこの家は、代々商いをしてきた場所で、もともと人が集う場所でした。
お父様の遺言は「実家を生かしてくれ」だったそうです。
カタチは変わってもこれからも同じように、人が集い、語らいがあり、思い出を作っていける場所になることを願っています。